インタビュー

3人制バスケットボールMC&ディーナゲッツ愛知:櫻井康貴「コートのある人生はいかがでしょう」



3人制バスケットボールのプロリーグ「3×3.EXE PREMIER」のMCや、ザ・バスケットボールアスレティッククラブ「ディーナゲッツ愛知」でレンタルコートの運営、さらにはアカデミーにてバスケコーチも担当している櫻井康貴さん。野球少年だった彼がバスケに狂っていったきっかけから、現在はNCAAネブラスカ大学で活躍中の富永啓生選手との深い関係性についてなど、「コートと共に生きる人生の魅力を伝えたい」と熱い想いを語ってくれました。

――櫻井さんのお仕事を教えてください。

櫻井:現在、平日はディーナゲッツ愛知のレンタルコート運営と、スクールのコーチを担当、週末は3人制バスケットボールのMCをやっています。MCはもともと毎月1回ディーナゲッツカップという3on3の大会を開催する中でDJ(当時はアナログレコード)をやっていて、でもそこで喋った方が盛り上がることがわかって。けどプロの喋り手さんに頼む予算も無いし、これは自分で喋るしか無いなと(笑)。続けるうちにいろんなバスケイベントで喋る機会を頂けるようになったんですけど、3×3でMCをやるきっかけは、3×3トップリーグ 3×3.EXE PREMIERからオファーをいただいたことでした。今では3人制のリーグが増えてきて、西日本中心の3×3 WEST(現在3×3 UNITED)や関東発の3×3 S.Leagueなど誕生したことで年間を通して呼んで頂けるようになりました。

櫻井:2014年、平塚ビーチでの3×3.EXE PREMIER開幕戦から昨年の3x3WEST、S.Leagueそれぞれの開幕戦から関わらせていただいて、シーンの状況もある程度は理解してるわけですが、Japan Tourとかも含めてそれぞれリーグはライバル関係というより、3×3が好きでこの競技に可能性を感じている部分は間違いなく共通なので、情報を共有しながらそれぞれが想いを持って3×3を盛り上げていこうとやっている感じですね。

櫻井:色々なリーグが増えてきてますけど、関わってくれる人がもっと増えてくれたらいいなと思っていますし、そのうちどこかで交わってみんなでドデカく日本一決定戦とかやれたらいいですね。

櫻井:他のスポーツも好きでよく見るのですが、3×3は本当に競技として面白い。オープンなロケーションで音楽があって若者も反応するし気付かれやすい。ゲームの流れも早く、点数もバンバン入って、短時間で決着がついてまた違うチームが登場し次のゲームが始まる。他にないですよ。



――現在のバスケの仕事をすることになったきっかけを教えてください。

櫻井:岐阜の田舎育ちでスポーツは少年野球一択だったので気がついたら野球してて笑、中学と高校も部活は野球でした。ただ、小学5年生くらいのとき自宅近くにBSの共同アンテナが立って、アメリカのテレビが見れるぞってなって、そこでNFL(アメフト)、NBA、MLB(メジャーリーグ)、NHL(アイスホッケー)とかも見てました。その時のアメリカの人たちの熱狂ぷりがすごくて! そこにどんどん引き込まれていきました。部活は野球でしたが、昼休みにはサッカーしたりバスケしたりアメフトのキャッチボールをやったり。スポーツ全般を見るのもやるのも大好きでした。

櫻井:アメリカのスポーツに熱狂していたこともあって、ずっとアメリカに興味があったんです。それで名古屋外国語大学を受験したのですが、英米語学部は落ちて、フランス語学部に受かりました。で大学に通ったのですが、英語じゃなくてフランス語しかやれないんですよね(笑)そりゃそうだなと(笑)。で、遠回りで無駄なことしてるんじゃないかなと思って半年ほどで大学には行かなくなっちゃったんです。

櫻井:で、そこから何をしようかなと。もともとスポーツに加えてアパレルも好きだったんで、海外のスポーツを普段着で着れるような自分のアパレルをやりたいなと思って。それで大学を辞めて、まずはアメリカで買付ができる洋服屋でアルバイトを始めました。そこで色々勉強させてもらいながら自分のアパレルを立ち上げて、数年活動していました。

櫻井:アメリカに買い付けに行っているときはモーテルを転々とするんですが、だいたい近くにバスケットコートがあって、当時は怖いもの知らずだったので(笑)よくゲームに混ぜてもらったんです。コービーのジャンパーとかジョーダンとかNBAで観てるプレイの真似事レベルで全然下手なんですけど気にせずわちゃわちゃやってたら、意外と友達とかできちゃった感覚に陥ったんです。「お前、明日も来いよ」みたいに。ほとんど英語も喋れなかったんですけど、ルールはわかるし、スポーツ一緒にやればなんとなく通じるじゃないですか、用語とかで。それが楽しくなっちゃって!国籍越えて、友達になれるツールがバスケで、すげえ楽しいし面白いカルチャーだなと引き込まれました。これを日本でやれたら面白いなと思ったんです。

櫻井:20代の後半に差し掛かった時に洋服屋のバイトを辞めて自分のアパレルをハイエースに積んで営業で全国を回っていました。その流れで大阪のバスケレンタルコートnks-405さんの事を知って、営業がてら行ってみたんです。当時のマネージャーさんつかまえて深夜まで「すげえコート!バスケコートってこんなにかっこよくなるのか!!」って勝手に盛り上がって、興奮して。自分がやるならこんな店ってイメージが湧きました。

櫻井:その後、名古屋駅の裏のあたりで、小さいながらも自分のアパレルのお店を構えることになりました。サッカーも好きだったので、名古屋グランパスエイトをゴール裏で応援したり、コールリーダーの方たちと一緒にアパレルを作ったり、ワールドカップのイベントをやったりして、スポーツにどっぷりはまっていました。

櫻井: そんななかで、nks-405のマネージャーさんから電話が鳴ったんです。愛知で洋菓子屋を営む近藤さんという方の秘書の方からでした。秘書の方曰く「うちの近藤がバスケのレンタルコートを立ち上げようと、nksさんに視察に行ったら、愛知に熱い男がいると聞いて連絡させてもらいました」と(笑)。で直接お会いして、一緒に立ち上げようと言っていただきました。

櫻井: 自分の店もあったのですが、こんな機会と出会いも中々ないぞと思い決めました。それが現在のディーナゲッツです。2007年の7月にディーナゲッツ愛知店がオープン。近藤さんが経営者で私がマネージャー。最初は近藤さんと二人で毎日コートに立っては「お客さん全然来ないね」という日々を過ごしましたが、不思議とネガティブな気持ちにはなりませんでした。



―ディーナゲッツ愛知の今までのことを教えて下さい。

櫻井:ディーナゲッツ愛知は2022年で15周年を迎えたのですが、オープン当時は人がこなかったというか、そもそも何をやる場所なのかわかってもらえなかった感じです。倉庫の中なので常に扉を開けてコート内を外に見せて、少しでも興味がありそうな人がいたらダッシュでチラシを渡しに行くということをやっていました。冬も扉を開けていたので最初の冬は特に寒かった記憶が強いですね(笑)。

櫻井:そんな中、きっかけがありました。タウチ君という地元の高校生がやってきました。こう言ったら失礼なんですけどいかにも補欠な見た目の男の子でした(笑)。独特のシュートフォームで(笑)。その子が「1対1やってください」と言うので、私が相手になります。基本的には私が勝つんですけど、10回に1回くらいはタウチ君が勝つんです。それをタウチ君が学校で「あそこのコートのスタッフ、倒したぞ!」って言いふらしたみたいなんです(笑)。他の子たちは「お前が勝てるわけねーじゃん、そんなわけねーだろ」と。コートの存在は他の子たちも知っていてくれてそれがきっかけで来てくれるようになって、その高校の子たちが常連になってくれたんです。特にエースの子は「店の雰囲気が最高にかっこいい!」と同じバスケ部の仲間や他の高校の子たちも連れてきてくれて、3対3の試合にも毎回出てくれて、彼らと一緒にどんどん広げていけたというのが大きいです

櫻井:実はその時のエースの子が今スタッフやってくれていたり、他にも、当時のアカデミー生が大学生からスタッフを経て3×3や、SOMECITYに参加するなど、ディーナゲッツで育った子たちが外で活躍してくれたり、また戻ってきてくれたり。そういうのは1番嬉しいですね。きっかけを作ってくれたタウチ君には長いこと会えていないので会いたいです!探しています!(笑)タウチ君連絡ください



櫻井:ディーナゲッツからの一番のスターは富永啓生くんですよね。(NCAAネブラスカ大学所属:東京2020オリンピック3×3やFIBAバスケアジアカップ日本代表などで活躍)啓生くんのお父さんの富永啓之さん(元日本代表)がディーナゲッツの中高生クラス「トップアカデミー」のコーチをやってくれていた関係で、啓生くんも小学2年生くらいの時からディーナゲッツ愛知に毎週来ていました。お父さんとシューティングしたり来店するお客さんと1on1したり、本当にずっとコートにいましたね。小学生のときから7号ボールでゴールの高さも大人と同じ高さでやってましたし。プレイしていない時間はプレイステーションのNBA 2Kをコートの端でやっていて、ゲームでもファウルアピールして両手広げて叫んでいましたね(笑)NBAをよく見ていたので、小学生の当時からプレイでもゲームでも今と同じオーバーリアクションでした(笑)

櫻井:啓生くんがきっかけで、3対3の大会のキッズカテゴリーを新設しました。彼が小学4年生のときだったと思いますが、当時から大人用ゴールでステップバックスリーを連発。とにかく湧かせてました。本人は毎週ディーナゲッツに行くことを楽しみにしてくれていたみたいです。店内にも当時の写真とか飾ってあるのですが、私を含めてあの頃の啓生くんを見れた人たちはラッキだなーと思ってます。日本を代表する選手になってくれているのはみんな喜んでくれてますし、これからも頑張ってもらいたいですね。

ディーナゲッツ愛知ブログ 富永選手の小学生時代

富永選手の小学生時代のディーナゲッツ愛知での大会の様子


――ディーナゲッツ バスケットボールアカデミー愛知校について教えて下さい。

櫻井:まず、バスケットの楽しさに触れてほしい、バスケットの魅力を伝えたいというのが大きくあります。一番大事にしていることです。4歳からのエンジョイクラスで初めてバスケやる子が多いんですけど、アカデミーに入ってもらった子は全員コートのフリーパスがもらえます。予約が入っていないときはいつでもプレイOKなんです。エンジョイクラスを経てもっとうまくなりたい、スキルを身につけたいとなったらジュニアクラス。基本技術徹底指導コースを選択できます。ただ、あくまで本人がどうしたいかを尊重しています。中学生・高校生対象のトップアカデミーもあり、各カテゴリーのレベルに合わせてコーチを配置しています。



――櫻井さんのこれからの展望を教えて下さい。

櫻井:コート、アカデミー、MC、全てそうですが関わってくれた人たちが色々な道を選んで、それがどんどん膨れ上がっていくことがすごく幸せに感じるのでそんな機会、きっかけをもっと増やしていきたいなと思っています。色々な子が外に出て活躍してまた戻ってきてくれたりなどはお金に代えられない貴重な経験ですね。例えば長崎ヴェルカで活躍中の松本健児リオン選手は以前、プロの世界に復帰を目指す過程でうちでコーチをやってくれていたりスタッフとして関わってくれました。当時リオンくんからレッスンを受けた子供たちも相当刺激になってますし、リオンくん本人もディーナゲッツでの経験が今に生きていると言ってくれています。

櫻井:アメリカで経験したバスケットボールカルチャーを日本に持ち帰りたいと思い、このコートに行けば誰か居る。あそこなら安全だし安心できる。好きなバスケで人と繋がる。そんなコミュニティーをつくっていきたいと始めたディーナゲッツが彼らの人生に影響を与えてこれたと思っていますし、良い意味で人生を狂わせているなと思っています(笑)。私視点でいえばコートのある人生って最高です。これからも関わってくれる人たちを増やして、コート増やして、人生を狂わせていきたいですね。



ディーナゲッツ愛知 公式サイト

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